ひのきの葉は私の人生を変えた






ある出会いから、ひのきの葉の研究を することになりました。
約38年前のことです。

文献も何もない中で、手探りでした。
家の台所はひのきの葉で大変でした。
沢山のボールには研究のつもりの物を入れていました。

ある時、友達が訪ねてきて、そのボールを無断で綺麗に洗ってくれました
親切だったのでしょうが経過観察していた
検体が消えてしまい、失意の中で、
最初からやり直した事も今は懐かしい思い出となりました。

今では、ひのき茶の製造許可も出ていますが、
ひのき茶が出来るまでの数年間は、先の見えない地味な時間の積み重ねでした。
数年後、やっと飲用可能になり、西洋医学と東洋医学の機関で2年間に2万本の試供をしました。

そのデータは素晴らしいものでした。
ほぼ全部の臓器に改善がみられました。
その結果、県の薬務課と薬学部の教授の協力をえて、次々と商品を開発する事となり、今に至っています。
その間、私は開発者として美味しくないひのき茶を仕方なく飲用していました。
ある時、私の慢性腎盂腎炎は治癒していました。

ビックリした私は、独学ですが、ひのきの葉の成分研究を本気ではじめました。
その結果、化学ではなく、物理の電気信号と深く関係のある体内のミトコンドリアに興味が湧き、
仮説を立てて研究を進めて来ました。


今なら話せる? 私は10歳のころから、敏感で、微細な世界の声も聞こえるような特殊な少女でした。
当時、軽い小児結核で、運動も勉強も制限されていました。
そんな私は、中学高校と気象部で、高校2年生の時アマチュア無線の免許を取得、科学女子でした。

その時に開局しいたコールサインが「JA4BMD」でした。
微細な世界を研究するグループとして、株式会社ビーエムディーの取り入れ ています。
懐かしく思い出します。

アマチュア無線に興味を持ったのは、昔はラジオに真空管を使用していました。
その真空管の中で変化している電子の動きに気が付いた時から、
私は電気の世界の虜になって行きました。

氣=電気信号、人間の体の中は電気信号がコントロールしているという考え方で、
体の営みを捉えるようになっていました。
体内に溜まる余分な電気を体外に発散させる氣代謝という考え方が生まれたのも、電子の営みが基本です。

電磁波の負荷を自覚するようになり、体内の氣=電気信号を整える氣代謝受信装置。
空気中の電磁波を整える氣代謝発信装置を 作り、
ミトコンドリアとひのきの葉の科学を結び付けて考えられるようにもなりました。
今の、内閣府所属の総合科学会議の先駆けのような 考えでした。
物理と化学を混合する考え方は、
当時は、受け入れられる事ではありませんでした。

薬学の教授からも反論され、別れて数年後、私の考え方が正しい事が証明されたので、
時間はかかると思うがそのまま姿勢で研究を進めるようにと連絡がありました。
この報告は、私の研究はいろいろ評価されてきましたが心の支えとなり、今に続いております。

ダイアモンドカットの「エンジェルストーン」という石は、
インドの医学アーユルヴェーダの世界から生まれています。
今は、体内に存在する微細な世界の仕組の解明と開発した商品たちとの関連を再検証しております。

思い出となりましたが、未知なひのきの葉の可能性を共に研究するために、
BMD予防学協会を設立し、勧めで、生涯学習の学院を北海道・東京・大阪・岡山・広島 に開設し、
その研究範囲は微細な世界を含む科学、「氣代謝生理学」と称して多くの人たちに影響を及ぼしましたが、
微細な世界を含む総合科学だったのです。

今から思えば、早すぎた私の科学技術を支援して頂いた事を心から感謝します。

記 近藤和子